ヒズボラの主要報道官が日曜のベイルート中心部でのイスラエル軍の空爆で殺害されたと過激派組織関係者が明らかにした。
メディアに説明する権限がないため匿名を条件に語ったヒズボラ当局者は、ムハンマド・アフィフ氏がアラブ社会主義バース党事務所への攻撃で死亡したとAP通信に語った。
ヒズボラのメディア対応責任者だったアフィフ氏は、9月のイスラエルの軍事的拡大と、長年ヒズボラを指導してきたハッサン・ナスルラ氏の暗殺後、特に目立つようになった。
先月、アフィフ氏はイスラエルの攻撃を前にベイルートでの記者会見を急いで終えていた。
日曜日、軍が人々にいくつかの建物から避難するよう警告した後、イスラエル軍の戦闘機がベイルートの南郊外を攻撃した。
この地域ではダヒヤとして知られる過激派組織ヒズボラが強い存在感を示しており、今回の攻撃はレバノン当局が米国の仲介による停戦提案を検討している中で行われた。
日曜のストライキ現場にいたAP通信のカメラマンは4人の遺体と4人の負傷者を目撃したが、犠牲者数については公式発表はなかった。近隣からは人々が逃げ出す姿も見られた。イスラエル軍からのコメントは得られていない。
ストライキを目撃したスヘイル・ハラビさんは「私は眠っていたが、ストライキの音と人々の叫び声、車と銃声で目が覚めた」と語った。 「正直びっくりしました。こんなに近くで体験したのは初めてです」。
ベイルート中心部でのイスラエルによる最後の攻撃は10月10日で、2か所での攻撃で22人が死亡した。
ヒズボラは、ガザ戦争のきっかけとなった2023年10月7日のハマスの攻撃の翌日、イスラエルにロケット弾、ミサイル、無人機の発射を開始した。イスラエルはレバノンで報復空爆を開始し、紛争は着実にエスカレートし、9月には全面戦争に突入した。イスラエル軍は10月1日にレバノンに侵攻した。
ガザ中心部で夜間攻撃、12人死亡
イスラエル軍の空爆は、1948年のイスラエル建国をめぐる戦争に遡るガザ中心部に建設された2つの難民キャンプを襲い、ヌセイラトで6人、ブレイジでさらに4人が死亡した。
12人の遺体すべてを受け入れた中心都市デリ・アル・バラのアル・アクサ殉教者病院によると、ガザの南北幹線道路での攻撃でさらに2人が死亡した。
イスラエルとハマスの戦争はパレスチナ武装勢力の攻撃を受けて始まった イスラエルに突入した 昨年10月7日には約1,200人(ほとんどが民間人)が殺害され、約250人が拉致された。ガザ内には今も人質約100人がおり、そのうち約3分の1が死亡したとみられている。
ガザ保健省は、この戦争で約4万3800人のパレスチナ人が死亡したと発表した。同省は民間人と戦闘員を区別していないが、死者の半数以上は女性と子供だとしている。
また日曜日、イスラエル警察は、沿岸都市カイサリアにあるベンヤミン・ネタニヤフ首相の私邸に照明弾が発射された後、容疑者3人を逮捕したと発表した。
当局によると、一晩中2発の照明弾が公邸に向けて発砲された際、ネタニヤフ首相と家族は公邸にいなかったが、負傷者はいなかったという。ヒズボラが発射した無人機 先月その住居を襲った、ネタニヤフ首相と彼の家族が不在のときも。
警察は発砲の背後にいる容疑者について詳細を明らかにしていないが、当局者らはネタニヤフ首相に対する国内の政治批判者を挙げている。イスラエルの主に儀式的な大統領、 アイザック・ヘルツォーク、この事件を非難し、「公共の場での暴力の激化」に対して警告した。