イスラエル・ハマスの停戦発効にパレスチナ人がガザで祝賀

ガザ:

パレスチナ人はガザ全域の街頭に繰り出し、ハマスとイスラエルの間で待望されていた停戦合意を祝った。この合意は3時間の遅れを経て、現地時間日曜午前11時15分に発効した。 15か月にわたる惨状の中、隠れることを余儀なくされた数千人が自宅の残骸を見るために急いで戻ってきたほか、親戚の墓を訪れた人もいた。

南部の都市カーンユニスでは、群衆が彼らを応援し、ハマスの武装部隊である「アル・カッサム旅団への挨拶」を叫ぶ中、武装ハマスの戦闘員らが街路を車で駆け抜けた。青い軍服を着たハマスの警官数名が、イスラエルの空爆を避けるために数か月にわたり人目につかないよう努めた後、一部の地域に配備されているのが見られた。

「(イスラエルのベンヤミン)ネタニヤフ首相にもかかわらず、すべての抵抗勢力は残留している」とある戦闘員は通信社ロイターに対し、武装勢力について言及した。

「これは神の意志による完全かつ包括的な停戦であり、神の意志にもかかわらず戦争に戻ることはない」と付け加えた。

パレスチナ人帰国

イスラエルによる最も激しい空爆と過激派との戦闘が行われたガザ市では、数百人が瓦礫とねじれた金属で荒廃した風景の中を道を選んで進んだ。人々はパレスチナ国旗を振り、家財を積んだ数台のカートが瓦礫や瓦礫が散乱する大通りを進む様子を携帯電話で撮影した。

命を守るために家を離れなければならなかった人々は、停戦を命への新たな挑戦として歓迎した。

「私たちは痛みに苦しんでおり、深い痛みを感じています。抱き合って泣く時が来ました」とガザ市在住のアーメド・アブ・アイハムさん(40歳)、ロイター通信のチャットアプリを通じて語った。

アイハムさんは家族とともに数か月間、カーン・ユニスに避難していた。同氏は、故郷の街での破壊の光景は「恐ろしい」ものだったと述べ、停戦により人命は救われたかもしれないが、祝賀会をしている場合ではないと付け加えた。

ガザ地区中央部のデリ・アル・バラに1年以上避難しているガザ市出身の避難民女性アヤさんによると、停戦は命への新たな一撃として来たという。

「15か月間砂漠で迷っていたのですが、やっと飲み水を見つけたような気がします。生き返った気がします」とアヤさんは語った。

さらに彼女は、「戦争は終わったが、私たちが被った破壊や損失のせいで生活が良くなるわけではない。しかし、少なくとも女性や子供の流血がこれ以上起こらないことを願っている」と語った。

側近、数カ月ぶりにガザ入り

国連によると、イスラエルとハマスの停戦協定発効後、日曜、燃料や援助物資を積んだトラックの長蛇の列がガザに入った。

この協定では、最初の6週間の停戦期間中、毎日、トラック600台分の援助物資をガザに搬入することが義務付けられており、そのうち50台は燃料を運ぶことになる。 600台の援助トラックの半分は、専門家が飢餓が差し迫っていると警告しているガザ北部に届けられる予定だ。

日曜朝の停戦発効から数分後、「最初の物資トラックが入り始めた」と国連援助当局者、パレスチナ領土に対する国連OCHA援助機関の暫定責任者ジョナサン・ウィットール氏はXで語った。

「ガザ全土に急増する援助物資を積み込み、配布する準備をするために、ここ数日間、人道支援パートナーによる大規模な取り組みが進められてきた。」

国連は積荷がガザに入った場所について詳細を明らかにしていないが、エジプト情報筋のAFP通信は、「197台の援助トラックと5台の燃料トラックがイスラエルとガザの間のケレム・シャローム交差点とアル・オガの交差点を通って進入した」とニツァナは伝えた。エジプトとイスラエルの間。

イスラエル・ハマス停戦

停戦協定はほぼ3時間の遅れを経て発効し、中東に劇的な政治的変化をもたらした戦争を一時停止し、その多くが何度も避難を強いられている230万人のガザ住民に希望を与えた。

イスラエル当局によると、大いに期待されていた停戦協定は、沿岸の小さな領土を支配するハマスが2023年10月7日にイスラエルを攻撃し、約1,200人が死亡した後に始まったガザ戦争の終結につながる可能性がある。ガザに本拠を置く保健当局者らによると、イスラエルの対応によりガザの大部分は瓦礫と化し、約4万7000人のパレスチナ人が死亡した。




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